ライターのハルカトと申します。
かなり童顔ですが、社会人3年目にあたる25才です。
新卒で某・大手広告会社に入社し、約2年間法人営業を経験しました。
そんな私ですが、2020年会社辞めました。新型ウイルスが猛威を振るい、
映画のようなことが現実になってしまった年でした。
世の中にあるさまざまなビジネスが窮地に立たされ、求人の数も減少。
職を失う人が増え、経済も冷え込むという、負のスパイラル…
そんな中、自分から会社を辞めて、フリーランスになりました。
言わずと知れた広告会社で、お給料だって悪くない。
就活に本気で取り組んで、やっと入れた大好きな会社です。
そんな私が、なぜこんなにもリスクの高そうな状況下で、
会社を辞めようと決断したのか、お伝えします。
Contents
退職のきっかけは、体調不良による休職です。新卒入社後2年間営業を経験しました。
やりがいはあり、社内外で出会う人々にも恵まれていたと感じます。
にもかかわらず、私はいつも焦っていました。
昔から、コミュニティ内で「できる自分」であることが、当然だと思っていました。そんな私が、今までになく優秀な人で構成された競争社会に飛び込んで、初めて「できない自分」に出会ったのです。そのため、新卒同期の表彰や活躍を見るたびに、喜びきれない自分がいました。
できる人を見ては比較して、できない自分を認められず、追い詰められていったのです。
いわゆるブラック企業ではなく、営業職でも必要以上に数字で苦しめられることはなかったと思います。そのような環境下なのに、勝手に自分を追い込み、苦しんで…
例えるなら「ひとりブラック企業」のような状態だったのかもしれません。毎日、口癖のように「頑張ります!」と言っていた気がします。
そうして気を張り続けた結果、ある日何かがプツっと切れる感覚がありました。体調も崩れてきて、「もう頑張れないかも」と感じたのです。
当時は、コロナ影響により在宅ワークが始まった頃で、人にもほぼ会わず、食事と睡眠の質が落ちました。
そんな時、たまたま話した会社の先輩に、心療内科の受診をおすすめされます。先輩から「会社は組織だから、良くも悪くもあなたの仕事は誰でもできる。でも、自分の体と心は、自分しか守れないよ。」という言葉をもらい、安堵で涙が出ました。
その後、心療内科で「軽いうつ傾向」と診断を受け、3か月の休職が決まりました。休職中も、コロナ禍でカフェくらいしか外出しませんでしたが、心ゆくまで思考する時間を確保できたように思います。
そもそも自分はどうなりたいのか。
休職後に、元の仕事に戻るか、辞めるか。
辞めたとしたら、今後どう食べていくのか。
私が出した結論は「会社を辞めて、フリーランスになる」ことでした。
なぜ会社を決断をしたのか。そして次の選択肢がフリーランスだったのか。
理由は三つあります。
①競争社会が自分に合わないから
学生時代は、競うことに苦手意識はなかった気がします。
しかし、新卒入社の横並びスタート後、互いの活躍がひと目でわかる環境にずっと居続けるのは、私には非常にストレスフルなのだと認識しました。
人と比べてしまう性分は、簡単には変えられない私の個性です。
もちろん、他人と比較するのをやめて、適応していく手段もあるでしょう。
けれども、そこまで自分に負荷をかけ変化してまで、やりたい仕事ではないと判断しました。
②想像していたよりも頭を使っていないから
仕事を離れているうちに、学生の時よりも、会社では新しいことを発想していないことに気がつきました。
たしかに、100社ほどの法人を担当し、おそらく他社の同年次と比べても、大きな裁量権を与えられていました。日々クライアントと対峙する上で、知識量やコミュニケーション力が上がった実感もありました。
一方で、年々増える大量の業務で、忙殺される日々。
それでも、顧客へ価値提供するためにと、ひたすら先輩のマネをしたり、既存の手段を活用することで、最速での課題解決を求められていました。
多少のアレンジくらいはしても、新規性はほぼなかったように感じます。
そのためか、学生時代にビジコンやインターンでやったような、わくわくしながら新しいことを思考する経験は、会社ではほとんどできていません。
もはや、学生のときよりも、発想力が落ちている感覚すらありました。
苦手と向き合うことに注力するあまり、得意なことを伸ばせていなかった。
それどころか、そのスキルすら衰えたのかと思うと、恐怖と悔しさを感じました。
③自己表現を仕事にしたいから
入社後気づいたことの1つが、「自己表現」が好きだということです。
学生時代から、ダンスやプレゼンなどが好きでしたが、あくまで趣味程度。
「表現を仕事にしたい」とは、全く考えませんでした。
しかし、日々仕事する中で、自分が心ときめくのは、オリジナリティを発揮できた瞬間だ、と気づいたのです。
よって、自己表現のプロとして仕事することを目指すならば、なるべく若く、特に生活の自由が効く内にチャレンジしたいと考えました。
フリーランスになると決めたものの、本当に食べていけるのかという経済的な恐怖心がありました。
いくら自己表現がしたくても、世間のニーズと合致しなければ、仕事がないかもしれません。また、お恥ずかしながら、会社員時代はかなり浪費しており、当時貯金はほとんどありませんでした。
ましてや、世の中はコロナ影響で、雇用が激減しています。もしフリーランスで食べられなくても、二度と正社員に戻れないのではという不安もありました。
そんな中でフリーランスになる決断ができたのは、一度お金周りの自分の価値観や、実際の生活コストを見直したからだと思います。
具体的には、固定費(スマホ代、月々の習い事代)・変動費(美容代・交際費の一部)など、減らせるところは減らした上で、最低限の家賃・生活費や大学の奨学金返済で、いくら必要か書き出すことをしました。
また、お金などについての知識もほぼゼロだったため、フリーランスになったら税金や保険をいくら負担することになるのかも、このときよく調べました。絞るところまで絞った上で、プラスいくらあれば、将来のための貯金やつみたて投資ができ、自分なりの「幸福感」を感じられる生活になるか考えました。ここで本質的によかったことは、自分にとって必要なお金は、アルバイトを必死でやれば稼げなくはない金額だったと気づけたことだと思います。
この金額や幸福を感じられるラインは、人によってさまざまです。私の場合は、思ったより収入が減っても大丈夫と思えたことと、独身で子どももおらず、まだ養うものが何もなかったからこそ、今だ!と踏み切ることができました。
よって、漠然としていた不安やリスクは、自分なりに可視化し思考してみたことで、この時点でかなり拭えていたと思います。
退職と独立を決断する時点で「なんとかなる、なんとかしよう」と前向きに思えたことにより、うつ症状も軽減していく感覚もありました。もちろんまだ収入面で気は抜けませんが、このときロジカルに整理していたからこそ、焦らず自分のペースで頑張れているのだと思います。
退職後数ヶ月ですが、「2020年、会社を辞めて良かった!」と、心の底から感じます。不確実性の高い昨今では、独立はもちろん、たとえ会社勤めでも、リスクは0ではなくなっているように思います。
しかし、その中でどう生きるのが幸せかは、自分にしか判断できません。
正解はありませんし、誰かが決めたとしても、自分にとって最適とは限らないでしょう。たとえ同じ「退職」という決断でも、理由は人それぞれです。
だからこそ、納得いくまで自ら思考した上で、自分にとって最善のキャリアを描いていくしかないのではないでしょうか。
どんな世の中でも、1人でも多くの方が、自分の人生にとってより良い選択ができることを祈ります。